2012年5月2日水曜日

ものすごく暗い外国のおとぎ話を子供のころよく聞きました。お母さんが子供を助け...

ものすごく暗い外国のおとぎ話を子供のころよく聞きました。お母さんが子供を助けるために、視力も声も若さも失っていくというお話。なんというお話なのでしょう。結末はどうなるのでしょうか。

最近耳にすることが無いのは、やはり暗すぎるからでしょうか。







アンデルセン童話の「あるお母さんの話」じゃないですか。

雪の日突然ドアが開いて死神が入ってきます。病気の子供を抱えて連れ去るのです。お母さんは必死で追いかけ

湖をわたる時「お前の美しい目をくれたら渡してあげる」と湖の神に言われ目玉を与えてしまうのでした。



最後死神に追いついたけど子供達の命の蝋燭を見せられ「その消えかかってる蝋燭がお前の子供のだ」

といわれます。子供がもし死なないで成長すると「虐められッ子になり将来ぐれて不良グループに入り無軌道な人生を歩む。

今死んでもっと幸せな家に生まれ変われば幸せな人生を歩むだろう」と死神から言われるのです。

お母さんは未婚の母です。子供が暗い人生歩むより幸せに生まれなおしたほうがいいと考え子供を取り返すことを諦めて家に帰るのでした。



すごく暗くて怖い話で読んだあと悪夢にさいなまれました。マッチ売りの少女もアンデルセンのお母さんの子供時代の体験をもとにアンデルセンが書いたものです。



グリムの童話なんかもっと暗くて怖いのだらけです。当時のデンマークやドイツの貧しい子供達は受難ばかりで死んで天国いくほうがよっぽど幸せと信じられてたのでしょうか。








他の方が既に回答しておられますが

アンデルセンの短編ではないかと私も思います。

翻訳のテキストや訳者のアレンジによって、話の筋が異なるようですね。

私の知っているものでは、母親の気持ちをないがしろにしていません。



福音館文庫「親指姫」中の「あるお母さんの物語」大塚勇三訳を参考にしました。

「」の中は抜粋です。



・・・

今にも死んでしまいそうな幼い子供の様子を、ただ見守る母親。

外の寒さにふるえる老人(死神)がそこを訪れる。

母親が疲労と悲しみに目を閉じた一瞬の間に、子供は死神に連れ去られる。



家を飛び出し、出会った相手に乞われるまま母親は

行き先を聞くため「手をしぼりあわせ、泣きながら歌いました。」



教えられた暗いモミの森にはいって行くと、道は十文字になっている。

そこにあったイバラのやぶが「その胸でわたしをあたためて」くれれば

死神の行き先を話すというので、母親はイバラをしっかりと抱きます。



流れた血を受けて、イバラはみずみずしい緑の葉を出し花を咲かせる。

「お母さんの胸は、そんなにもあたたかったのです。」



やがてたどりついた湖は船もなく、浅くもない。

どうにかして渡ろうとする母親は、その水を飲み干そうとする。

湖は、きれいな二つの目をくれたら向こう岸の死神の温室まで運んでやると言う。



「ええ、子どものところに行くためなら、なんだってあげますわ!」

その言葉通り、母親の目は湖の底に沈むと見事な真珠になってしまう。



そして何マイルもの広さがある不思議な家に、先回りを果たす。

なにも見えない母親は、温室の世話をしている墓守の老婆と取引をする。

自分の長く美しい黒髪を与え、老婆の雪のように白い髪を受け取る。



案内された温室の中では、「さまざまな花や木が、入り交じって生えていました。」

あらゆる草木に命があり「それぞれ自分の名前をもっていました。」

母親は脈打つ音を頼りに、何百万もの中から自分の子どもにあたる花を見つける。



遅れてやってきた死神は、湖の底で輝いていた母親の目を返し、こう告げる。

自分は神様の庭番で、天国の庭に花木を運ぶのが仕事であると。

母親の視力は戻り、井戸の中にある花の「一生」を見て驚愕します。

一つは幸せと喜びに満ち、もう一つは悲しみ・おそればかり。



人の運命を知った母親は、子どもを引き留めたいという執着を捨て神に祈る。

自分の願いが御心にそむいているのなら、どうかお聞きとどけくださいますな…!

子どもは「だれにも知られていない国」に連れていかれる。



・・・



陰鬱な話とも受け取れますが、子どもを失った親御さんの悲しみを癒したようです。

書かれて30年近く経た1875年に、多言語訳を集めた豪華版が出版されました。



アンデルセンの他の童話には、苦労の末病死した母親を「だめな女だ」と誹られて悲しむ少年に、「あなたのお母さんはりっぱな人。分からない相手には勝手に言わせておけばいいんですよ」と知人が勇気づけるものもあります。

どちらも現実の人生を見つめ、強く生きてほしいという後押しですね。



>最近耳にすることが無いのは



宗教色を排除すると、強迫じみた説教のような印象を受けるからでしょうか。

しかし、実際の作品群はキリスト教一辺倒ではありません。

人・動植物・無生物全てを尊いとする、繊細な心情を感じます。



たいへん長くなってしまい、すいません…。

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